ラブレター (1981) Part1 <奈保子コラム12>
2003年11月29日 私的「河合奈保子」論久々に奈保子さんの歌についてのボク的の思い入れを書き込ませてもらいます。
約二ヶ月半ぶりです。
奈保子さんの通算7曲目のシングル曲。
すでに日記に書かせてもらっている
『ムーンライト・キッス』と『愛をください』の間の曲です。
大怪我をして入院していたのにもかかわらず、病院を抜け出して収録した曲。
(詳細なことは奈保子さんの御本『わたぼうし翔んだ』に書かれてあります。)
発売日は1981年12月5日。
ボクがはじめて聴いたのは、22年前の今日である11月29日。
午前1時から放送されていたニッポン放送の生番組で、その日の第一曲目として流されたのがはじめて聴いたとき。
(あえて番組名は省略・・・地元の放送局でも放送していたので、鮮明に聞けた。)
TBSで金田賢一さんと一緒に出ていた番組(こちらは難聴)が終了してまもなくでした。
奈保子さんが怪我される前日の10月4日にも出演していた。(当然 奈保子さんの部分だけは録音だと思うのですが・・)
歌詞の一番に「なぜか震える指先〜」というフレーズがあるのですが、この頃のシングル曲だとなぜか「なじぇか震えるゆっびぃしゃきぃ〜」と聞こえてしまう。
病院を抜け出して収録した曲だから
奈保子さんの体調を気遣っての事だと思うけど、時間との勝負だったらしく
幼児発音みたいな歌い方のまま収録されている。
この事は翌年発売された『サマーヒロイン』というLPに収録された同曲を聞いて違いに気付いた。
ボク的な感想は
はじめて聴いた時・・
奈保子さんの歌声を待っていた あんにゃにとっては表現の仕様がないほど感動ものでした。
うれしかったなぁ。
わかる人には凄くわかりやすい比喩ですけど
"スペシャル・ローリング・サンダー"や"ギャラクティカマグナム"や"ギャラクティカファントム"・"ウィニング・ザ・レインボー"という名だたるスーパーブローを立て続けに浴びせられたほどの衝撃でした。
この感動は、翌日放送されたテレビ初復帰番組である『夜のヒットスタジオ』へと続く。
奈保子ちゃんのとりこになってしまった。
約二ヶ月半ぶりです。
奈保子さんの通算7曲目のシングル曲。
すでに日記に書かせてもらっている
『ムーンライト・キッス』と『愛をください』の間の曲です。
大怪我をして入院していたのにもかかわらず、病院を抜け出して収録した曲。
(詳細なことは奈保子さんの御本『わたぼうし翔んだ』に書かれてあります。)
発売日は1981年12月5日。
ボクがはじめて聴いたのは、22年前の今日である11月29日。
午前1時から放送されていたニッポン放送の生番組で、その日の第一曲目として流されたのがはじめて聴いたとき。
(あえて番組名は省略・・・地元の放送局でも放送していたので、鮮明に聞けた。)
TBSで金田賢一さんと一緒に出ていた番組(こちらは難聴)が終了してまもなくでした。
奈保子さんが怪我される前日の10月4日にも出演していた。(当然 奈保子さんの部分だけは録音だと思うのですが・・)
歌詞の一番に「なぜか震える指先〜」というフレーズがあるのですが、この頃のシングル曲だとなぜか「なじぇか震えるゆっびぃしゃきぃ〜」と聞こえてしまう。
病院を抜け出して収録した曲だから
奈保子さんの体調を気遣っての事だと思うけど、時間との勝負だったらしく
幼児発音みたいな歌い方のまま収録されている。
この事は翌年発売された『サマーヒロイン』というLPに収録された同曲を聞いて違いに気付いた。
ボク的な感想は
はじめて聴いた時・・
奈保子さんの歌声を待っていた あんにゃにとっては表現の仕様がないほど感動ものでした。
うれしかったなぁ。
わかる人には凄くわかりやすい比喩ですけど
"スペシャル・ローリング・サンダー"や"ギャラクティカマグナム"や"ギャラクティカファントム"・"ウィニング・ザ・レインボー"という名だたるスーパーブローを立て続けに浴びせられたほどの衝撃でした。
この感動は、翌日放送されたテレビ初復帰番組である『夜のヒットスタジオ』へと続く。
奈保子ちゃんのとりこになってしまった。
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