壱  『昭和56年11月30日放送の「夜のヒットスタジオ」』

以前からずぅぅぅぅぅぅっとみたかった「ラブレター」を歌っている映像。

ようやく みることができました。
詳しいことは、11月30日の日記の後半に追記しました。

例えようがないほどの 感動映像です。

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弐  『昭和56年の紅白歌合戦』

みたいTV番組がないので、数年前の年末に再放送して録画していた昭和56年の紅白をみました。
奈保子ちゃんが始めて画面に出たのは 
黒柳徹子さんが奈保子ちゃんを紹介し終えた直後。

白いミニのドレス(ひざ上までのスカート)で『スマイル・フォー・ミー』を歌う奈保子ちゃん。
歌い終わると 
コルセットを着けた不自由な体にもかかわらず精一杯の笑顔で
「どうもありがとうございます」とお辞儀をしながら客席に向けて奈保子さんは挨拶する。
奈保子さんに続いて歌った白組トップバッターの近藤真彦さんの歌が終わったところで、改めて奈保子さんは黒柳さんの質問を受ける。

 黒柳「本当に元気になってよかったです。」
   「奈保子さんは病気のときにみんなのお見舞いがとってもうれしかったんですって?」 

 奈保子「ハイ!もう 本当に 励ましのお手紙や(語尾の発音が上がる)、沢山のプレゼント・・・本当にどうもありがとうございました。」
    「勇気付けられました。」

奈保子さんの映像はその後、紅組出演者の映像が流れるたびに出場者が座っている応援席の映像としてチョコチョコと映される。

奈保子さんの歌を再び聞くことができるのは、番組開始から約1時間17分が過ぎた頃。
両軍一緒での応援合戦で
白組 五木ひろしさん、森進一さん    紅組 五輪真弓とうたったデュエット曲『東京ナイトクラブ』
奈保子さんは森さんと一緒に歌う。

奈保子さんの声を聞くことができるのはこの場面が最後。

"お遊戯"とか"学芸会"とか称されたこともある体を動かしての応援合戦には、奈保子さんは当然 怪我のため出演できなかった。

合計3回衣装換えをした奈保子さん。
と、「わたぼうし翔んだ」には書かれているのですが2回までしか確認できませんでした。もう一度確認してみます。
・・もしや、誤植ではないでしょうか。
エンディングは
"紅組最年少"として出場していたためか、一瞬しか映りませんでした。

今日の余談。
?この年から 観客席全員投票で決められた。
各階の票数は日本野鳥の会の方々が集計し、暗算日本一の方が計算していた。

翌日早々から
民放のバラエティ番組で野鳥の会のことが茶化された。
ボクの記憶では
野鳥の会の方々は、昭和57年の紅白が最後だったと思う。

?芸映からこの年は奈保子さんを含めて三人紅白に出ているんですね。

?小林幸子さんの衣装
 ・・まだ普通でした。  

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