ギャグ漫画の巨匠で
新潟県出身の赤塚不二夫先生が最近、いろんな媒体で見かけることがありません。
病気告知後は何度かTV画面に出ていましたが
最近は全くみられません。
雑誌掲載ではなくTVマンガの「天才バカボン(再放送)」・「元祖天才バカボン」をみて育った世代ですから先生の安否が心配です。
また 昭和(戦後)の偉大なる漫画家がいなくなるのではないかと懸念しております。
赤塚先生は"新潟県出身"となっていますが、実は旧満州の生まれです。
戦後すぐ母親の郷里 奈良県に疎開しました。
しばらく奈良県で過ごし
父親の復員とともに新潟にこられました。
有名な話しですが、東京の印刷会社に就職するまで新潟にて過ごされました。
トキワ荘には 亡き石森章太郎先生と一緒(同室)に入居されました。
ボクの幼少時代は 赤塚作品といえばTVアニメの「天才バカボン(再放送)」と「元祖天才バカボン」が代表作です。
先生の作品を 週間少年サンデーやマガジンで読んだことはありません。
ボクが読んでいたマンガで先生の名前を大体的に出していたのは "赤塚賞"を制定していた少年ジャンプです。
いま 『日本のお昼の顔』となったタモリさんの芸能界入りのきっかけをつくったのも赤塚先生です。
病気告白後 入院せずに自然治癒に任せて数年過ごされていました。故に最近 ご無沙汰なのが心配です。
新潟県出身の赤塚不二夫先生が最近、いろんな媒体で見かけることがありません。
病気告知後は何度かTV画面に出ていましたが
最近は全くみられません。
雑誌掲載ではなくTVマンガの「天才バカボン(再放送)」・「元祖天才バカボン」をみて育った世代ですから先生の安否が心配です。
また 昭和(戦後)の偉大なる漫画家がいなくなるのではないかと懸念しております。
赤塚先生は"新潟県出身"となっていますが、実は旧満州の生まれです。
戦後すぐ母親の郷里 奈良県に疎開しました。
しばらく奈良県で過ごし
父親の復員とともに新潟にこられました。
有名な話しですが、東京の印刷会社に就職するまで新潟にて過ごされました。
トキワ荘には 亡き石森章太郎先生と一緒(同室)に入居されました。
ボクの幼少時代は 赤塚作品といえばTVアニメの「天才バカボン(再放送)」と「元祖天才バカボン」が代表作です。
先生の作品を 週間少年サンデーやマガジンで読んだことはありません。
ボクが読んでいたマンガで先生の名前を大体的に出していたのは "赤塚賞"を制定していた少年ジャンプです。
いま 『日本のお昼の顔』となったタモリさんの芸能界入りのきっかけをつくったのも赤塚先生です。
病気告白後 入院せずに自然治癒に任せて数年過ごされていました。故に最近 ご無沙汰なのが心配です。
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