夢のまた夢
2004年2月4日 私的「河合奈保子」論ネタの使いまわしと思われるかもしれませんが・・
先日、また奈保子さんの夢を見てしまいました。
今年になってから2〜3回目です。
去年下半期から奈保子さんの夢を見る頻度が高くなりました。
自分でも「なんでだろう」と思っています。
精神の分析でもしたら良いでしょうか。
そのような書籍を買って読めばいいのでしょうが読んでいくうちにねむたくなるので医者に行ったほうが良いでしょうか。
☆☆
なにはともあれ、前の晩にいやな気分で就寝しても奈保子さんの夢を見た翌朝の寝起きは良いものです。
奈保子さんファンの皆様はどうでしょうか?
♪♪♪♪♪♪♪♪
自己紹介にも綴っていますが、ボクは20余年の河合奈保子さんのファンです。
ファンをやめる気持ちはありません。
先日、また奈保子さんの夢を見てしまいました。
今年になってから2〜3回目です。
去年下半期から奈保子さんの夢を見る頻度が高くなりました。
自分でも「なんでだろう」と思っています。
精神の分析でもしたら良いでしょうか。
そのような書籍を買って読めばいいのでしょうが読んでいくうちにねむたくなるので医者に行ったほうが良いでしょうか。
☆☆
なにはともあれ、前の晩にいやな気分で就寝しても奈保子さんの夢を見た翌朝の寝起きは良いものです。
奈保子さんファンの皆様はどうでしょうか?
♪♪♪♪♪♪♪♪
自己紹介にも綴っていますが、ボクは20余年の河合奈保子さんのファンです。
ファンをやめる気持ちはありません。
異議あり! 〜後編〜 <奈保子コラム番外編 19>
2004年1月15日 私的「河合奈保子」論前編にも書いたことですが、
「河合奈保子=グラビアアイドル」という言葉・イメージができて固まりつつあるのは、
テレビ・ラジオで奈保子さんの曲・歌を聞く機会が今はほぼ皆無だからである。
−−−
年末年始のSP番組に奈保子さんの映像が流れました。しかし、厳密に言うと「流れた」ではなく「出た」だけであって、奈保子さんファンには満足できるものではなかった。唯一納得させる映像は12月20日にNHK BS−2で放送した紅白歌合戦の再放送番組ただ一つだけでした。
人気があり、奈保子さんも数多く出演していた歌番組のSPでもここ数年は奈保子さんの歌っている映像は流されていない。
古参の奈保子さんファンが司会を勤めているランキング番組があります。
プロ野球シーズン以外はほぼ毎週放送されています。
以前は奈保子さんの映像を流していたのですが、もう一年以上も流されていないはずである。
この番組・・以前から順位の選定基準が不明瞭です。
奈保子さんの歌に限った事ではありません。
ボクはほぼ毎週みているのですが、上位にランキングが予想される曲が下位だったりしたときもある。
「売れたの?」と思われる曲が20位以内にランキングされるときもある。
順位の選定基準に、“インタビューの取れる人”があるみたいなのです。
懐古番組にしたってそうです。
「あの人は今」・・・出ていられる方々の殆どが何度も出ています。
懐かしさなんてないです。「またでたぁ〜」って感じです。
沖縄県出身の兄弟(妹)グループなんて何回再結成した事やら。
−−−
話を本題に戻します。
「河合奈保子=グラビアアイドル」というイメージを消滅する方向に導くには、少しでも多くの方々に奈保子さんの歌・曲を聴いてもらうしかないでしょうね。
昨今 CDの売り上げ枚数が多い女性歌手をやたらに「歌姫」と呼ぶ傾向がある。
奈保子さんのようなお方こそ「歌姫」という呼称がふさわしいと思う。
♪♪
奈保子さんのネタ・・・不定期だけど続くよ。
−−−−−
今日の余談。
売り上げ枚数が多い曲。
それだけ多くの方から支持されている曲だと思うけど、ボクはわかんない曲ばかりです。
「いいうた」と思える曲・・・ないなぁ。
「河合奈保子=グラビアアイドル」という言葉・イメージができて固まりつつあるのは、
テレビ・ラジオで奈保子さんの曲・歌を聞く機会が今はほぼ皆無だからである。
−−−
年末年始のSP番組に奈保子さんの映像が流れました。しかし、厳密に言うと「流れた」ではなく「出た」だけであって、奈保子さんファンには満足できるものではなかった。唯一納得させる映像は12月20日にNHK BS−2で放送した紅白歌合戦の再放送番組ただ一つだけでした。
人気があり、奈保子さんも数多く出演していた歌番組のSPでもここ数年は奈保子さんの歌っている映像は流されていない。
古参の奈保子さんファンが司会を勤めているランキング番組があります。
プロ野球シーズン以外はほぼ毎週放送されています。
以前は奈保子さんの映像を流していたのですが、もう一年以上も流されていないはずである。
この番組・・以前から順位の選定基準が不明瞭です。
奈保子さんの歌に限った事ではありません。
ボクはほぼ毎週みているのですが、上位にランキングが予想される曲が下位だったりしたときもある。
「売れたの?」と思われる曲が20位以内にランキングされるときもある。
順位の選定基準に、“インタビューの取れる人”があるみたいなのです。
懐古番組にしたってそうです。
「あの人は今」・・・出ていられる方々の殆どが何度も出ています。
懐かしさなんてないです。「またでたぁ〜」って感じです。
沖縄県出身の兄弟(妹)グループなんて何回再結成した事やら。
−−−
話を本題に戻します。
「河合奈保子=グラビアアイドル」というイメージを消滅する方向に導くには、少しでも多くの方々に奈保子さんの歌・曲を聴いてもらうしかないでしょうね。
昨今 CDの売り上げ枚数が多い女性歌手をやたらに「歌姫」と呼ぶ傾向がある。
奈保子さんのようなお方こそ「歌姫」という呼称がふさわしいと思う。
♪♪
奈保子さんのネタ・・・不定期だけど続くよ。
−−−−−
今日の余談。
売り上げ枚数が多い曲。
それだけ多くの方から支持されている曲だと思うけど、ボクはわかんない曲ばかりです。
「いいうた」と思える曲・・・ないなぁ。
異議あり! 〜前編〜 <奈保子コラム番外編 19>
2004年1月14日 私的「河合奈保子」論『歌の大辞テン』・・・予想通りの結果でした。
風見しんご(当時 慎吾)さんがランキングされている時点で「今週もだめだな」と悟りました。
『歌の大辞テン』はいつものことだから納得できますが、納得できないのが『爆笑おすピー問題!』での奈保子さんの扱われ方である。
奈保子さんは、なんと“グラビアアイドル”という枠で括られていた。
いまでも奈保子さんファンでいるボクたちにとっては許しがたいことである。
☆☆☆☆☆
「グラビアアイドル」という言葉がいつから使われ出したかわからないが
奈保子さんが活躍されていた1980年代には存在しなかった言葉である。はず。
奈保子さんのように、水着審査のないオーディションでデビューした人や
「スター誕生」のような番組でデビューした人には「グラビアアイドル」という言葉は当てはまらないと思う。
あえて、1970年代後半から80年代末まで活躍されていた人達の中から「グラビアアイドル」という枠で括るなら、その人達は「キャンペーンガール」として注目を浴び人気を得た人達ではないかとボクは思う。
幼少の頃より歌うことが好きだった奈保子さん。
もし、奈保子さんがデビューするきっかけとなったオーティジョンに水着審査があったなら、奈保子さんは応募していなかっただろうと思う。
以前にも書いたが、奈保子さんは胸の事を言われるのを極力嫌っていました。
水着での仕事も嫌がっていた。
奈保子さんが凄く活躍されていた頃はアイドル全盛でした。
奈保子さんに限らず、多くの女性アイドルは
年に数冊写真集を出していた。カレンダーも出していた。月刊(又は週刊)『明星』・『平凡』という雑誌にも出ていた。
テレビ番組では『水泳大会』などという番組もあった。
とにかく・・水着になる仕事が沢山あった。
いまでいう「グラビアアイドル」と称される仕事もしていた。
でもそれは、『(アイドル)歌手』という仕事の一部にしか過ぎない。
奈保子さんはあくまでも歌手なのである。
でもね、現実は違っていた。
ボクの手元に、『週刊明星』の最終号(1991年12月26日号)があるのですが
当然のごとく(!?)、水着写真が掲載されています(昭和56年の写真らしい)。
写真には、こんな文が添えられています。
「?ウワ〜ッ?と思わずタメ息をついてしまいそうな大きな胸が話題でした。アイドル=小さな胸っていう公式が破られてしまいました。」
奈保子さんがデビューされてから、確かに話題にはなっていましたけど・・公式ってありましたっけ?
・・・この頃からすでに『河合奈保子=グラビアアイドル』というイメージの布石ができていたんですね。
−−−−
ご長男出産後、一切歌手活動をされていない“休業状態”の今日、テレビ・ラジオなどで奈保子さんの歌声を聞ける機会は当然の事ながら少ない。最近は“皆無状態”といってもおかしくない。たまに流される映像は水着の物が多い。
故に、
河合奈保子=グラビアアイドル
という枠で括られても仕方ないとも思っている。
しかし、違うのである。
奈保子さんは歌手なのである。
作曲家・女優なのである。
奈保子さんの歌声や、奈保子さんの飾り気のない心からの笑顔で癒された人は多くいるはずである。
ボクもそのうちの一人である。
「河合奈保子」を
“かわいなおこ”と読むとき(歌手・作曲家・女優)の奈保子さんも好きだが
“かわいなほこ”と読むときも好きなのである。
奈保子さんの「思いやりがあり、他人を労わる気持ちの大きい」誰からも好かれる性格が好きなのである。
奈保子さんの中傷記事を書いた雑誌なんて見たことないです。そのような活字も見たことないです。
♪♪♪
後半に続く。
風見しんご(当時 慎吾)さんがランキングされている時点で「今週もだめだな」と悟りました。
『歌の大辞テン』はいつものことだから納得できますが、納得できないのが『爆笑おすピー問題!』での奈保子さんの扱われ方である。
奈保子さんは、なんと“グラビアアイドル”という枠で括られていた。
いまでも奈保子さんファンでいるボクたちにとっては許しがたいことである。
☆☆☆☆☆
「グラビアアイドル」という言葉がいつから使われ出したかわからないが
奈保子さんが活躍されていた1980年代には存在しなかった言葉である。はず。
奈保子さんのように、水着審査のないオーディションでデビューした人や
「スター誕生」のような番組でデビューした人には「グラビアアイドル」という言葉は当てはまらないと思う。
あえて、1970年代後半から80年代末まで活躍されていた人達の中から「グラビアアイドル」という枠で括るなら、その人達は「キャンペーンガール」として注目を浴び人気を得た人達ではないかとボクは思う。
幼少の頃より歌うことが好きだった奈保子さん。
もし、奈保子さんがデビューするきっかけとなったオーティジョンに水着審査があったなら、奈保子さんは応募していなかっただろうと思う。
以前にも書いたが、奈保子さんは胸の事を言われるのを極力嫌っていました。
水着での仕事も嫌がっていた。
奈保子さんが凄く活躍されていた頃はアイドル全盛でした。
奈保子さんに限らず、多くの女性アイドルは
年に数冊写真集を出していた。カレンダーも出していた。月刊(又は週刊)『明星』・『平凡』という雑誌にも出ていた。
テレビ番組では『水泳大会』などという番組もあった。
とにかく・・水着になる仕事が沢山あった。
いまでいう「グラビアアイドル」と称される仕事もしていた。
でもそれは、『(アイドル)歌手』という仕事の一部にしか過ぎない。
奈保子さんはあくまでも歌手なのである。
でもね、現実は違っていた。
ボクの手元に、『週刊明星』の最終号(1991年12月26日号)があるのですが
当然のごとく(!?)、水着写真が掲載されています(昭和56年の写真らしい)。
写真には、こんな文が添えられています。
「?ウワ〜ッ?と思わずタメ息をついてしまいそうな大きな胸が話題でした。アイドル=小さな胸っていう公式が破られてしまいました。」
奈保子さんがデビューされてから、確かに話題にはなっていましたけど・・公式ってありましたっけ?
・・・この頃からすでに『河合奈保子=グラビアアイドル』というイメージの布石ができていたんですね。
−−−−
ご長男出産後、一切歌手活動をされていない“休業状態”の今日、テレビ・ラジオなどで奈保子さんの歌声を聞ける機会は当然の事ながら少ない。最近は“皆無状態”といってもおかしくない。たまに流される映像は水着の物が多い。
故に、
河合奈保子=グラビアアイドル
という枠で括られても仕方ないとも思っている。
しかし、違うのである。
奈保子さんは歌手なのである。
作曲家・女優なのである。
奈保子さんの歌声や、奈保子さんの飾り気のない心からの笑顔で癒された人は多くいるはずである。
ボクもそのうちの一人である。
「河合奈保子」を
“かわいなおこ”と読むとき(歌手・作曲家・女優)の奈保子さんも好きだが
“かわいなほこ”と読むときも好きなのである。
奈保子さんの「思いやりがあり、他人を労わる気持ちの大きい」誰からも好かれる性格が好きなのである。
奈保子さんの中傷記事を書いた雑誌なんて見たことないです。そのような活字も見たことないです。
♪♪♪
後半に続く。
年末年始の番組 <奈保子コラム番外編 18>
2004年1月4日 私的「河合奈保子」論去年の『紅白』・・視聴率の最低記録を更新したみたいですね。
つまんなかったみたいですね。(録画した映像をまだみていないものですから・・)
ほとんどの方が過去の自身の大ヒット曲しか歌っていませんでした。
"懐メロ番組"になってしまって、もう何年になるでしょうか。
<前フリはこれにて終了>
本題に変わります。
☆
年末からの一連のスペシャル番組では、相変わらず奈保子さんの映像は肩透かしの状態でした。
『レコード大賞』で数秒間流れたみたいですが、ボクは見ておりません。
(万一流れても、どうせ数秒だろうし見たい映像も流れないだろうと思っていましたから、録画もしていませんでした。
ボクは歌番組も好きですが"お笑い"番組も好きですので日テレの番組をみていました。
(幼少の頃から 華やかで、賞自体の重みが格段に凄かった『レコード大賞』をみ続けてきましたので、最近の『レコ大』は「哀れみ」を感じてしまうのであまりみません)
『レコード大賞』といえば
まだ『レコード大賞』が日本武道館で催されていた頃
奈保子さんが『レコード大賞』→『紅白』→『ゆく年来る年』と立て続けに出演されていたときを思い出してしまいました。
☆ ☆
正月番組と奈保子さん。
『かくし芸』を筆頭に数々の番組に出演されていた奈保子さん。
奈保子さんが所属されていたレコード会社が主催の歌番組が、毎年ほぼ3日の午前中あたりに放送していたのを覚えている方は少ないだろうなぁ。
(奈保子さんは今でもそのレコード会社に籍はあるみたいですが・・)
セールス的には聖子さんよりも少なかったけど所属レコード会社内では上位のほうだった奈保子さん。
でも、所属会社は演歌の大御所とされる方が多かったので(歌手生活の年数も浅いほうでしたので)番組では初めのほうに出演していたと思います。
☆☆☆
奈保子さんファンの皆様へ。
初夢はどうでしたか。ご覧になりましたか。
つまんなかったみたいですね。(録画した映像をまだみていないものですから・・)
ほとんどの方が過去の自身の大ヒット曲しか歌っていませんでした。
"懐メロ番組"になってしまって、もう何年になるでしょうか。
<前フリはこれにて終了>
本題に変わります。
☆
年末からの一連のスペシャル番組では、相変わらず奈保子さんの映像は肩透かしの状態でした。
『レコード大賞』で数秒間流れたみたいですが、ボクは見ておりません。
(万一流れても、どうせ数秒だろうし見たい映像も流れないだろうと思っていましたから、録画もしていませんでした。
ボクは歌番組も好きですが"お笑い"番組も好きですので日テレの番組をみていました。
(幼少の頃から 華やかで、賞自体の重みが格段に凄かった『レコード大賞』をみ続けてきましたので、最近の『レコ大』は「哀れみ」を感じてしまうのであまりみません)
『レコード大賞』といえば
まだ『レコード大賞』が日本武道館で催されていた頃
奈保子さんが『レコード大賞』→『紅白』→『ゆく年来る年』と立て続けに出演されていたときを思い出してしまいました。
☆ ☆
正月番組と奈保子さん。
『かくし芸』を筆頭に数々の番組に出演されていた奈保子さん。
奈保子さんが所属されていたレコード会社が主催の歌番組が、毎年ほぼ3日の午前中あたりに放送していたのを覚えている方は少ないだろうなぁ。
(奈保子さんは今でもそのレコード会社に籍はあるみたいですが・・)
セールス的には聖子さんよりも少なかったけど所属レコード会社内では上位のほうだった奈保子さん。
でも、所属会社は演歌の大御所とされる方が多かったので(歌手生活の年数も浅いほうでしたので)番組では初めのほうに出演していたと思います。
☆☆☆
奈保子さんファンの皆様へ。
初夢はどうでしたか。ご覧になりましたか。
きのうの追記
2003年12月31日 私的「河合奈保子」論今年の書き込みはもうよそうと思っていましたが
とある映像が出てきましたので追記します。
(とくにたいしたことではないですが・・・)
出てきた映像は、奈保子さんの婚約会見をレポートしているワイドショーの番組です。
奈保子さん・・相変わらずお綺麗でした。
"裏方"と自ら称している このような記者会見に場慣れしていない旦那様がインタビューを受けている時・話している時に、心配そうに時折旦那様を見つめる奈保子さんが愛らしくて素敵でした。
追記?ですか。
番組中 レポーターの方が言っていましたが
旦那様の誕生日 間違いなく1月3日でした。
それだけです。
その日 旦那様の実家がある大阪に、奈保子さんと奈保子さんの御両親が招かれて食事会が催されたそうです。
−−−−
奈保子さんファンの皆様、良いお年を
とある映像が出てきましたので追記します。
(とくにたいしたことではないですが・・・)
出てきた映像は、奈保子さんの婚約会見をレポートしているワイドショーの番組です。
奈保子さん・・相変わらずお綺麗でした。
"裏方"と自ら称している このような記者会見に場慣れしていない旦那様がインタビューを受けている時・話している時に、心配そうに時折旦那様を見つめる奈保子さんが愛らしくて素敵でした。
追記?ですか。
番組中 レポーターの方が言っていましたが
旦那様の誕生日 間違いなく1月3日でした。
それだけです。
その日 旦那様の実家がある大阪に、奈保子さんと奈保子さんの御両親が招かれて食事会が催されたそうです。
−−−−
奈保子さんファンの皆様、良いお年を
う゛っっっっっっ。
2003年12月30日 私的「河合奈保子」論ん゛〜〜〜〜〜っ。
今夜の『ザ・ベストテン2003』 み終わりました。
奈保子さんの映像・・・出たことは出ましたが、3〜4カットでした。今夜はアップの映像が一つもありません。
歌声すら流れません。
期待度を高くしていないでおいてよかった。
所詮 ゲストで出てくれる方とかコメントをいただける人の映像が優先なんでしょうね。
(今夜のザ・ベストテンもそうですが、最近の懐古番組はみなこんな傾向です。)
今宵の映像が今年最後の奈保子さんの映像かと思うと悲しくなります。
・・つまんないので 奈保子さんの婚約会見の記事を載せた1996年2月2日のスポーツ新聞を見ておりました。
記事中に誤植が二箇所ありました。
?「奈保子さんが17歳でデビューした」と書かれてあります。
奈保子さんがデビューされたのは6月1日。
奈保子さんの誕生日は7月24日。
奈保子さんは16歳でデビューされています。
・・この日の記事の旦那様についての記事があっているのなら、1月3日は旦那様の誕生日です。
奈保子さんより4歳年上みたいです。年齢は・・奈保子さんの実年齢が判ってしまいますので省略します。
?奈保子さんの本名が「かわいなおこ」と書かれています。
このへんじょこき日記を読んでくれている方ならお解かりだと思いますが奈保子さんの本名は「かわいなほこ」です。
・・このことは、いろんなところで誤植されていましたからたまげたものではないです。
詳しい記事・・HPがうまく動き出したなら早めにUPさせていただきます。
奈保子さんの映像・・
来年・・テレビ番組もそうだけど、いろんな媒体でみられることを期待しましょう!!(DVDなど)
今年中に書き込む日記としては、今日(30日)が最後になるかもしれません。
奈保子さんファンの皆様 良いお年をお迎えしてください。
今夜の『ザ・ベストテン2003』 み終わりました。
奈保子さんの映像・・・出たことは出ましたが、3〜4カットでした。今夜はアップの映像が一つもありません。
歌声すら流れません。
期待度を高くしていないでおいてよかった。
所詮 ゲストで出てくれる方とかコメントをいただける人の映像が優先なんでしょうね。
(今夜のザ・ベストテンもそうですが、最近の懐古番組はみなこんな傾向です。)
今宵の映像が今年最後の奈保子さんの映像かと思うと悲しくなります。
・・つまんないので 奈保子さんの婚約会見の記事を載せた1996年2月2日のスポーツ新聞を見ておりました。
記事中に誤植が二箇所ありました。
?「奈保子さんが17歳でデビューした」と書かれてあります。
奈保子さんがデビューされたのは6月1日。
奈保子さんの誕生日は7月24日。
奈保子さんは16歳でデビューされています。
・・この日の記事の旦那様についての記事があっているのなら、1月3日は旦那様の誕生日です。
奈保子さんより4歳年上みたいです。年齢は・・奈保子さんの実年齢が判ってしまいますので省略します。
?奈保子さんの本名が「かわいなおこ」と書かれています。
このへんじょこき日記を読んでくれている方ならお解かりだと思いますが奈保子さんの本名は「かわいなほこ」です。
・・このことは、いろんなところで誤植されていましたからたまげたものではないです。
詳しい記事・・HPがうまく動き出したなら早めにUPさせていただきます。
奈保子さんの映像・・
来年・・テレビ番組もそうだけど、いろんな媒体でみられることを期待しましょう!!(DVDなど)
今年中に書き込む日記としては、今日(30日)が最後になるかもしれません。
奈保子さんファンの皆様 良いお年をお迎えしてください。
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ひょっとして
2003年12月25日 私的「河合奈保子」論12月30日の『ザ・ベストテン』のSPに奈保子さんファンの
はしのえみさんが出演されるみたいです。
http://www.tbs.co.jp/tv/20031230.html
もしかしたら 奈保子さんの映像が流されるかもしれない。
少し 期待度が上がりました。
でも ここ数ヶ月、期待度が高すぎるときに限って流されないので
「一部の望み」
程度にしておこうと思っています。
はしのえみさんが出演されるみたいです。
http://www.tbs.co.jp/tv/20031230.html
もしかしたら 奈保子さんの映像が流されるかもしれない。
少し 期待度が上がりました。
でも ここ数ヶ月、期待度が高すぎるときに限って流されないので
「一部の望み」
程度にしておこうと思っています。
昨日の報告 + α
2003年12月24日 私的「河合奈保子」論まず 昨日の結果から。
ものの見事に奈保子さんの映像が流れませんでした。
期待度は薄いものでしたので、それほど落胆はしてません。
ボクはむしろ、同時刻に放送していた『ドリフ大爆笑』に期待度をたかくして見ていましたがやはりこちらも、奈保子さんの映像は出ませんでした。
キャンディーズの映像が出てましたが、個人的には
志村けんさんと伊藤蘭さんのとのコントを観たかったです。
このお二人のコントは全員集合でも数多くやられていたので、年明け早々に『全員集合』のDVDが発売されるので、期待を込めて購入したいと思います。(あと・・志村さんと桜田淳子さんとの夫婦コントもみたいです。)
『ザ・ベストテン』のSPが30日午後7時から放送されます。
今年は松田聖子さんと愛娘のSAYAKAさんとの共演が目玉みたいです。
奈保子さんの映像が流される可能性がある番組としては今年最後の番組だと思います。
昨日の紅白の名場面集よりは期待度を高めてみてみようと思います。
(落胆しない程度に ね。)
ものの見事に奈保子さんの映像が流れませんでした。
期待度は薄いものでしたので、それほど落胆はしてません。
ボクはむしろ、同時刻に放送していた『ドリフ大爆笑』に期待度をたかくして見ていましたがやはりこちらも、奈保子さんの映像は出ませんでした。
キャンディーズの映像が出てましたが、個人的には
志村けんさんと伊藤蘭さんのとのコントを観たかったです。
このお二人のコントは全員集合でも数多くやられていたので、年明け早々に『全員集合』のDVDが発売されるので、期待を込めて購入したいと思います。(あと・・志村さんと桜田淳子さんとの夫婦コントもみたいです。)
『ザ・ベストテン』のSPが30日午後7時から放送されます。
今年は松田聖子さんと愛娘のSAYAKAさんとの共演が目玉みたいです。
奈保子さんの映像が流される可能性がある番組としては今年最後の番組だと思います。
昨日の紅白の名場面集よりは期待度を高めてみてみようと思います。
(落胆しない程度に ね。)
イブイブのよるもだめだろうなぁ
2003年12月23日 私的「河合奈保子」論23日 NHK総合で 『特集 NHK歌謡コンサート「もう一度見たい!紅白名場面」』という番組が放送されます。
<総 合>
12月23日(火) 後7:30〜8:40
12月27日(土) BShi・後5:45〜6:55
用は紅白の名場面集なんだけど、この手の番組をNHKでする場合 やはり演歌系の人が強いから、奈保子さんの映像なんて流れないだろうと思います。
(一応チェックはしてみますけど・・)
29日にBS2で『生放送 あなたが選ぶ 思い出の紅白・感動の紅白』という番組もあります。
<BS2>
12月29日(月) 後5:00〜11:00 (後7・00〜7・30 中断)
約五時間半放送されるから こちらのほうが比較的可能性は大なんだけど。
やっぱり 演歌の人中心なんでしようねぇ。
<総 合>
12月23日(火) 後7:30〜8:40
12月27日(土) BShi・後5:45〜6:55
用は紅白の名場面集なんだけど、この手の番組をNHKでする場合 やはり演歌系の人が強いから、奈保子さんの映像なんて流れないだろうと思います。
(一応チェックはしてみますけど・・)
29日にBS2で『生放送 あなたが選ぶ 思い出の紅白・感動の紅白』という番組もあります。
<BS2>
12月29日(月) 後5:00〜11:00 (後7・00〜7・30 中断)
約五時間半放送されるから こちらのほうが比較的可能性は大なんだけど。
やっぱり 演歌の人中心なんでしようねぇ。
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アバアバアバアバ アバレンジャー <奈保子コラム 番外編の付録?>
2003年12月21日 私的「河合奈保子」論正式な題名は「爆竜戦隊アバレンジャー」といいます。
番組後半 巨大ロボットが出てきます。
今日 久しぶりに見たのですが、合体に次ぐ合体でロボットが誕生します。
番組のスポンサーがおもちゃ会社だから致し方ないのですが、無謀な設定だと思います。
「きぐるみの中のお方 大変だろうなぁ」
と思いながら見ていました。
「アバレンジャー」と奈保子さん 何が関係あるのだろうと思われたでしょ。
直接的は関係ない。はず。
「アバレンジャー」のオープニング曲・エンディング曲 どちらも吉元由美さんが作詞されています。
奈保子さん自身が作られた曲の多くの歌詞は吉元由美さんが作られている。
ただそれだけのつながりです。
♪♪
奈保子さんの御子息も「アバレンジャー」みているでしょうか。
番組後半 巨大ロボットが出てきます。
今日 久しぶりに見たのですが、合体に次ぐ合体でロボットが誕生します。
番組のスポンサーがおもちゃ会社だから致し方ないのですが、無謀な設定だと思います。
「きぐるみの中のお方 大変だろうなぁ」
と思いながら見ていました。
「アバレンジャー」と奈保子さん 何が関係あるのだろうと思われたでしょ。
直接的は関係ない。はず。
「アバレンジャー」のオープニング曲・エンディング曲 どちらも吉元由美さんが作詞されています。
奈保子さん自身が作られた曲の多くの歌詞は吉元由美さんが作られている。
ただそれだけのつながりです。
♪♪
奈保子さんの御子息も「アバレンジャー」みているでしょうか。
年末SP番組 <奈保子コラム番外編 17>
2003年12月20日 私的「河合奈保子」論20日分の日記・・・21日に書いております。
まず。
奈保子さんファンの皆様へ。
今日(20日)の紅白の再放送、堪能されましたか。
ボクは仕事中でしたので、放送はみていません。
19日の日記にも書きましたが、ボクは8年前にすでに録画しているので昨日の放送は録画しませんでした。
何はともあれ 奈保子さんの映像が放送されることはいいことです。
今年も『ザ・ベストテン』の年末SPが放送されるかと思います。(←テレビ雑誌をまだみていないので不確定な情報ですが・・・)
奈保子さんも数十回出場されています。
毎回、「放送してくれないかなぁ・・」と期待しつつ見ているのですが・・・。
『ザ・ベストテン』の年末SPに奈保子さんが出場されたことがある。
「河合奈保子特集」と謳った特集なのに、放送時間の短さに不満を抱きながらみていた。
いまでも解せないのは
司会の一員で出ていたダチョウ倶楽部が奈保子さんが歌っている後ろでうまくない踊りを踊っていることである。
この番組 ときどき理解不可能なセットを作っていたので、このキャスティングにもあい通じるところがある。
『ザ・ベストテン』のSPは何度もありますが、『ザ・トップテン』『歌のトップテン』の年末SPは一度もない。
『ザ・トップテン』にも奈保子さんは数十回出場されている。
1983年の年末に放送された『ザ・トップテン』の「名迷場面集」に、古参の奈保子ファンの諸氏なら覚えているだろうと思われる映像が流された。
「エスカレーション」を歌っていたときの中継映像。
プールサイドで歌っている奈保子さんのわきで、ダンサーらしき外国のお方(♂)が水の中に入って説明しがたい踊りをしている。
ボクはこのSPをみていたし生放送もみていた。
ボク的には「何が面白いのだろう」という映像だが、司会者の方は気にいられたみたいで、この映像が流れるたびに笑われていた。
『ザ・トップテン』で思いだされるのは
たまに スケジュールの都合で出場されなかった歌手の方々がいた。
このときは決まって『夜のヒットスタジオ』に出場されている。
当時、『夜のヒットスタジオ』は月曜日午後10時から放送していた。『ザ・トップテン』は午後8時から。
公開番組『ザ・トップテン』を放送していた渋谷公会堂から当時のフジテレビまでどれ位離れているかは地方に住むあんにゃにはわからないが、同じ東京都内なのだから中継でもできたはずなのに、『ザ・トップテン』には出演されなかった。
お歌の世界では『ザ・トップテン』よりも『夜のヒットスタジオ』が重んじられていたのだろう。
『ザ・ベストテン』では、同じ曜日に収録されていた『カックラキン大放送』の出場者が中継で出ていたんだけどね。
まず。
奈保子さんファンの皆様へ。
今日(20日)の紅白の再放送、堪能されましたか。
ボクは仕事中でしたので、放送はみていません。
19日の日記にも書きましたが、ボクは8年前にすでに録画しているので昨日の放送は録画しませんでした。
何はともあれ 奈保子さんの映像が放送されることはいいことです。
今年も『ザ・ベストテン』の年末SPが放送されるかと思います。(←テレビ雑誌をまだみていないので不確定な情報ですが・・・)
奈保子さんも数十回出場されています。
毎回、「放送してくれないかなぁ・・」と期待しつつ見ているのですが・・・。
『ザ・ベストテン』の年末SPに奈保子さんが出場されたことがある。
「河合奈保子特集」と謳った特集なのに、放送時間の短さに不満を抱きながらみていた。
いまでも解せないのは
司会の一員で出ていたダチョウ倶楽部が奈保子さんが歌っている後ろでうまくない踊りを踊っていることである。
この番組 ときどき理解不可能なセットを作っていたので、このキャスティングにもあい通じるところがある。
『ザ・ベストテン』のSPは何度もありますが、『ザ・トップテン』『歌のトップテン』の年末SPは一度もない。
『ザ・トップテン』にも奈保子さんは数十回出場されている。
1983年の年末に放送された『ザ・トップテン』の「名迷場面集」に、古参の奈保子ファンの諸氏なら覚えているだろうと思われる映像が流された。
「エスカレーション」を歌っていたときの中継映像。
プールサイドで歌っている奈保子さんのわきで、ダンサーらしき外国のお方(♂)が水の中に入って説明しがたい踊りをしている。
ボクはこのSPをみていたし生放送もみていた。
ボク的には「何が面白いのだろう」という映像だが、司会者の方は気にいられたみたいで、この映像が流れるたびに笑われていた。
『ザ・トップテン』で思いだされるのは
たまに スケジュールの都合で出場されなかった歌手の方々がいた。
このときは決まって『夜のヒットスタジオ』に出場されている。
当時、『夜のヒットスタジオ』は月曜日午後10時から放送していた。『ザ・トップテン』は午後8時から。
公開番組『ザ・トップテン』を放送していた渋谷公会堂から当時のフジテレビまでどれ位離れているかは地方に住むあんにゃにはわからないが、同じ東京都内なのだから中継でもできたはずなのに、『ザ・トップテン』には出演されなかった。
お歌の世界では『ザ・トップテン』よりも『夜のヒットスタジオ』が重んじられていたのだろう。
『ザ・ベストテン』では、同じ曜日に収録されていた『カックラキン大放送』の出場者が中継で出ていたんだけどね。
PRINCESS NAOKO <奈保子コラム番外編 16>
2003年12月19日 私的「河合奈保子」論もうしばらく日記を綴るのは休んでいようと思ったのですが
テレビ番組で久しく奈保子さんの歌われている映像を見ていない古参のファンとしては黙っていられなくて今日は綴りました。
明日 久しぶりに奈保子さんの歌っている映像がNHK−BS2で放送されます。
昭和60年の紅白歌合戦です。
http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/program.html
ボクの記憶が確かなら、昭和60年の紅白を再放送するのは明日が二回目です。
一回目は1995年の12月30日、午後12時15分から。
当然録画させていただきました。
もしかしたら1995年から今年の間で再放送が一回くらいあったかもしれない。あったのなら、すでにこの昭和60年の映像は保存してあるので観ていない。
今日の日記の題名は
番組のOPで出場者を紹介する場面で、この年の司会者だったNHKの千田アナウンサー(当時)が奈保子さんのことを形容された言葉である。
ごもっともである。
ね、
奈保子派の皆さん。♪
さて、この年は紅組先行で始まった。
奈保子さんは二番目に歌われた。
奈保子さんファンには忘れられないことがおきる。
白組トップバッターのKKさんが、歌い終わっても調子こいて演奏を長々と続けた。
奈保子さんの番なのに、お調子者の演奏は続いた。
時間を計ったことはないけど、一分近くも遅れたのではないかな。
ちょっと困惑されている奈保子さんの映像が見られます。
このKKさん。
この"おふざけ"が理由かわからないが、翌年から紅白には出られていない。
奈保子さんは 翌年に出られたのが、今のところ最後の紅白です。
この昭和60年の映像を持っている方。
NHKの昔の映像を見せてくれる施設に簡単に行かれる方。
などの いつでもこの場面が見られる方。
改めて奈保子さんの映像を堪能してください。
明日の再放送をはじめてご覧になる方や録画できる
方。
22歳になられた綺麗な奈保子さんをご覧ください。
♪♪♪
今日の余談。
・・・・
数日前、また奈保子さんの夢を見てしまいました。
初の"2本立て"でした。
奈保子派になって20余年。こんなことは初めてです。
2本のうちの1本は、『復帰された奈保子さん』でした。
ボクって変でしょうか?
テレビ番組で久しく奈保子さんの歌われている映像を見ていない古参のファンとしては黙っていられなくて今日は綴りました。
明日 久しぶりに奈保子さんの歌っている映像がNHK−BS2で放送されます。
昭和60年の紅白歌合戦です。
http://www3.nhk.or.jp/kouhaku/program.html
ボクの記憶が確かなら、昭和60年の紅白を再放送するのは明日が二回目です。
一回目は1995年の12月30日、午後12時15分から。
当然録画させていただきました。
もしかしたら1995年から今年の間で再放送が一回くらいあったかもしれない。あったのなら、すでにこの昭和60年の映像は保存してあるので観ていない。
今日の日記の題名は
番組のOPで出場者を紹介する場面で、この年の司会者だったNHKの千田アナウンサー(当時)が奈保子さんのことを形容された言葉である。
ごもっともである。
ね、
奈保子派の皆さん。♪
さて、この年は紅組先行で始まった。
奈保子さんは二番目に歌われた。
奈保子さんファンには忘れられないことがおきる。
白組トップバッターのKKさんが、歌い終わっても調子こいて演奏を長々と続けた。
奈保子さんの番なのに、お調子者の演奏は続いた。
時間を計ったことはないけど、一分近くも遅れたのではないかな。
ちょっと困惑されている奈保子さんの映像が見られます。
このKKさん。
この"おふざけ"が理由かわからないが、翌年から紅白には出られていない。
奈保子さんは 翌年に出られたのが、今のところ最後の紅白です。
この昭和60年の映像を持っている方。
NHKの昔の映像を見せてくれる施設に簡単に行かれる方。
などの いつでもこの場面が見られる方。
改めて奈保子さんの映像を堪能してください。
明日の再放送をはじめてご覧になる方や録画できる
方。
22歳になられた綺麗な奈保子さんをご覧ください。
♪♪♪
今日の余談。
・・・・
数日前、また奈保子さんの夢を見てしまいました。
初の"2本立て"でした。
奈保子派になって20余年。こんなことは初めてです。
2本のうちの1本は、『復帰された奈保子さん』でした。
ボクって変でしょうか?
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あした <奈保子コラム 番外編の付録?>
2003年12月12日 私的「河合奈保子」論明日、奈保子さんファンの間では
『恋のから騒ぎ』の視聴率が 知る人ぞ知る理由で
凄く高くなるでしょうね。
『恋のから騒ぎ』の視聴率が 知る人ぞ知る理由で
凄く高くなるでしょうね。
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あれ? <奈保子コラム番外編 15>
2003年12月8日 私的「河合奈保子」論昨日は、奈保子さんが『夜のヒットスタジオDX』での2回目のマンスリーの映像を見ていました。
最終週はジャッキー・チェーンさんとのデュエットでした。全曲 広東語で歌っていました。
『JEWEL BOX』の4枚目CDの4曲目に「Southern Cruice」という歌があるのですが、上記の番組で奈保子さんとジャッキーさんが歌われていた曲の歌詞(日本語 訳)と上記CDに収められている曲では、歌詞の内容が全然全然違うのですね。
詳しく述べると
広東語で歌っていた奈保子さんたちの訳詞と、CDで収められている日本語で歌うお二人の歌詞とは全く違うんですね。
なんでだろう。
最終週はジャッキー・チェーンさんとのデュエットでした。全曲 広東語で歌っていました。
『JEWEL BOX』の4枚目CDの4曲目に「Southern Cruice」という歌があるのですが、上記の番組で奈保子さんとジャッキーさんが歌われていた曲の歌詞(日本語 訳)と上記CDに収められている曲では、歌詞の内容が全然全然違うのですね。
詳しく述べると
広東語で歌っていた奈保子さんたちの訳詞と、CDで収められている日本語で歌うお二人の歌詞とは全く違うんですね。
なんでだろう。
かお こわいな
2003年12月7日 私的「河合奈保子」論『恋のから騒ぎ』に河合奈保子(かわいなおこ)さんという二十歳の方が出ているんですね。
http://www.ntv.co.jp/koikara/
は !?
ははっ
ははは。
はははははぁ〜
はぁ↓(急降下)・・・・。
どうにでもなっちまえぇぇぇっ。
ボクにとって "河合奈保子"といえば
本名が「なほこ」で
7月24日が誕生日で
ご両親が新潟県の出身で
日本作曲家協会の会員の御方しかいないやぁい。
二十歳の「かわいなおこ」さんには悪いけど
・・・見なきゃ良かった。(極限のため息)
http://www.ntv.co.jp/koikara/
は !?
ははっ
ははは。
はははははぁ〜
はぁ↓(急降下)・・・・。
どうにでもなっちまえぇぇぇっ。
ボクにとって "河合奈保子"といえば
本名が「なほこ」で
7月24日が誕生日で
ご両親が新潟県の出身で
日本作曲家協会の会員の御方しかいないやぁい。
二十歳の「かわいなおこ」さんには悪いけど
・・・見なきゃ良かった。(極限のため息)
感動モノぢゃ <奈保子コラム番外編 14>
2003年12月4日 私的「河合奈保子」論壱 『昭和56年11月30日放送の「夜のヒットスタジオ」』
以前からずぅぅぅぅぅぅっとみたかった「ラブレター」を歌っている映像。
ようやく みることができました。
詳しいことは、11月30日の日記の後半に追記しました。
例えようがないほどの 感動映像です。
−−−−−−
弐 『昭和56年の紅白歌合戦』
みたいTV番組がないので、数年前の年末に再放送して録画していた昭和56年の紅白をみました。
奈保子ちゃんが始めて画面に出たのは
黒柳徹子さんが奈保子ちゃんを紹介し終えた直後。
白いミニのドレス(ひざ上までのスカート)で『スマイル・フォー・ミー』を歌う奈保子ちゃん。
歌い終わると
コルセットを着けた不自由な体にもかかわらず精一杯の笑顔で
「どうもありがとうございます」とお辞儀をしながら客席に向けて奈保子さんは挨拶する。
奈保子さんに続いて歌った白組トップバッターの近藤真彦さんの歌が終わったところで、改めて奈保子さんは黒柳さんの質問を受ける。
黒柳「本当に元気になってよかったです。」
「奈保子さんは病気のときにみんなのお見舞いがとってもうれしかったんですって?」
奈保子「ハイ!もう 本当に 励ましのお手紙や(語尾の発音が上がる)、沢山のプレゼント・・・本当にどうもありがとうございました。」
「勇気付けられました。」
奈保子さんの映像はその後、紅組出演者の映像が流れるたびに出場者が座っている応援席の映像としてチョコチョコと映される。
奈保子さんの歌を再び聞くことができるのは、番組開始から約1時間17分が過ぎた頃。
両軍一緒での応援合戦で
白組 五木ひろしさん、森進一さん 紅組 五輪真弓とうたったデュエット曲『東京ナイトクラブ』
奈保子さんは森さんと一緒に歌う。
奈保子さんの声を聞くことができるのはこの場面が最後。
"お遊戯"とか"学芸会"とか称されたこともある体を動かしての応援合戦には、奈保子さんは当然 怪我のため出演できなかった。
合計3回衣装換えをした奈保子さん。
と、「わたぼうし翔んだ」には書かれているのですが2回までしか確認できませんでした。もう一度確認してみます。
・・もしや、誤植ではないでしょうか。
エンディングは
"紅組最年少"として出場していたためか、一瞬しか映りませんでした。
今日の余談。
?この年から 観客席全員投票で決められた。
各階の票数は日本野鳥の会の方々が集計し、暗算日本一の方が計算していた。
翌日早々から
民放のバラエティ番組で野鳥の会のことが茶化された。
ボクの記憶では
野鳥の会の方々は、昭和57年の紅白が最後だったと思う。
?芸映からこの年は奈保子さんを含めて三人紅白に出ているんですね。
?小林幸子さんの衣装
・・まだ普通でした。
以前からずぅぅぅぅぅぅっとみたかった「ラブレター」を歌っている映像。
ようやく みることができました。
詳しいことは、11月30日の日記の後半に追記しました。
例えようがないほどの 感動映像です。
−−−−−−
弐 『昭和56年の紅白歌合戦』
みたいTV番組がないので、数年前の年末に再放送して録画していた昭和56年の紅白をみました。
奈保子ちゃんが始めて画面に出たのは
黒柳徹子さんが奈保子ちゃんを紹介し終えた直後。
白いミニのドレス(ひざ上までのスカート)で『スマイル・フォー・ミー』を歌う奈保子ちゃん。
歌い終わると
コルセットを着けた不自由な体にもかかわらず精一杯の笑顔で
「どうもありがとうございます」とお辞儀をしながら客席に向けて奈保子さんは挨拶する。
奈保子さんに続いて歌った白組トップバッターの近藤真彦さんの歌が終わったところで、改めて奈保子さんは黒柳さんの質問を受ける。
黒柳「本当に元気になってよかったです。」
「奈保子さんは病気のときにみんなのお見舞いがとってもうれしかったんですって?」
奈保子「ハイ!もう 本当に 励ましのお手紙や(語尾の発音が上がる)、沢山のプレゼント・・・本当にどうもありがとうございました。」
「勇気付けられました。」
奈保子さんの映像はその後、紅組出演者の映像が流れるたびに出場者が座っている応援席の映像としてチョコチョコと映される。
奈保子さんの歌を再び聞くことができるのは、番組開始から約1時間17分が過ぎた頃。
両軍一緒での応援合戦で
白組 五木ひろしさん、森進一さん 紅組 五輪真弓とうたったデュエット曲『東京ナイトクラブ』
奈保子さんは森さんと一緒に歌う。
奈保子さんの声を聞くことができるのはこの場面が最後。
"お遊戯"とか"学芸会"とか称されたこともある体を動かしての応援合戦には、奈保子さんは当然 怪我のため出演できなかった。
合計3回衣装換えをした奈保子さん。
と、「わたぼうし翔んだ」には書かれているのですが2回までしか確認できませんでした。もう一度確認してみます。
・・もしや、誤植ではないでしょうか。
エンディングは
"紅組最年少"として出場していたためか、一瞬しか映りませんでした。
今日の余談。
?この年から 観客席全員投票で決められた。
各階の票数は日本野鳥の会の方々が集計し、暗算日本一の方が計算していた。
翌日早々から
民放のバラエティ番組で野鳥の会のことが茶化された。
ボクの記憶では
野鳥の会の方々は、昭和57年の紅白が最後だったと思う。
?芸映からこの年は奈保子さんを含めて三人紅白に出ているんですね。
?小林幸子さんの衣装
・・まだ普通でした。
もしも・・・ <奈保子コラム番外編 13>
2003年12月2日 私的「河合奈保子」論最近 あきらめながらも期待をこめてみている『歌の大辞テン』。 先週は昭和56年11月のランキングだったけど、奈保子さんの歌は何度目かのランキング外でした。
デビュー以来、初めてヒットした柏原よしえさんの『ハローグッバイ』が10位以内に入ったのは納得できる。
(同年10月から始まったNTVのドラマ『キッド (主演 堺正章さん)』で挿入歌として使われた。 よしえさんご本人も出演されていた。)
でも、『ラムのラブソング』よりランキングが下だったのは納得できない。
この歌 アニメ『うる星やつら』の歌ですが、売れたんでしょうか?
アニメ自体は人気あるのは知っていますけど・・。
この話し とめどなく長くなそうなのでこれくらいにします。
前置きがながくなりましたが
本日のお題に変わります。
最近 奈保子さんの映像がテレビ番組から流されないことに不満を抱いている古参の奈保子ファンであるボク。
こんなことを思いつきました。
定期的に放送されているフジテレビや日テレのものまね番組。
「"ご本人"として出演してくれないかなぁ」と最近思いつきました。
たまに 「○○年ぶりにテレビで歌う」という"ご本人"が出演されるときがある。
日テレよりもフジテレビのほうが"ご本人"の出る割合が多い。(三分の二程度"ご本人"が出ていると思います)
もし 可能で得れば
30歳代後半から20歳代半ばまでの歌のうまい女性にマネをしてほしい。
胸を強調した衣装はやむを得ないからある程度は許す。
奈保子さんがアイドル時には存在しなかった言葉の"巨乳"だけで、内山くんやホンジャマカの石塚にはマネしてほしくない。
奈保子さんの歌を茶化すのならマネしてほしくない。
曲は・・・何でも良いが
『河合奈保子』というイメージからすると、やっぱり『スマイル・フォー・ミー』が妥当なところでしょうか。
デビュー以来、初めてヒットした柏原よしえさんの『ハローグッバイ』が10位以内に入ったのは納得できる。
(同年10月から始まったNTVのドラマ『キッド (主演 堺正章さん)』で挿入歌として使われた。 よしえさんご本人も出演されていた。)
でも、『ラムのラブソング』よりランキングが下だったのは納得できない。
この歌 アニメ『うる星やつら』の歌ですが、売れたんでしょうか?
アニメ自体は人気あるのは知っていますけど・・。
この話し とめどなく長くなそうなのでこれくらいにします。
前置きがながくなりましたが
本日のお題に変わります。
最近 奈保子さんの映像がテレビ番組から流されないことに不満を抱いている古参の奈保子ファンであるボク。
こんなことを思いつきました。
定期的に放送されているフジテレビや日テレのものまね番組。
「"ご本人"として出演してくれないかなぁ」と最近思いつきました。
たまに 「○○年ぶりにテレビで歌う」という"ご本人"が出演されるときがある。
日テレよりもフジテレビのほうが"ご本人"の出る割合が多い。(三分の二程度"ご本人"が出ていると思います)
もし 可能で得れば
30歳代後半から20歳代半ばまでの歌のうまい女性にマネをしてほしい。
胸を強調した衣装はやむを得ないからある程度は許す。
奈保子さんがアイドル時には存在しなかった言葉の"巨乳"だけで、内山くんやホンジャマカの石塚にはマネしてほしくない。
奈保子さんの歌を茶化すのならマネしてほしくない。
曲は・・・何でも良いが
『河合奈保子』というイメージからすると、やっぱり『スマイル・フォー・ミー』が妥当なところでしょうか。
ラブレター (1981) Part2 <奈保子コラム特別篇 ?>
2003年11月30日 私的「河合奈保子」論・・・の前に、
やっと回復できましたね。Diary Noteさん。
一日半以上も落ちっぱなしでしたので、一事はどうなるかと思っていました。
『N’S CONNECTION』存亡の危機でした。
回復できてよかっぁ。
でも、今後
今回のようなことがあったら、こちらを閉鎖するかもしれません。
で、
今日の分のネタ
・・いつ書き込みできるかわからなかったのでまとめていませんでした。
奈保子派の皆さんすいません。
続きは後日です。
☆☆☆☆☆☆
12月6日になりました。 続きを綴ります。
奈保子さんの映像を沢山配信しているサイトから、この日の『ラブレター』を歌っている奈保子さんの映像をダウンロードしました。
ボクんち まだ高速回線ではないので、短めの映像しかダウンロードできませんでしたが、それでも満足でした。
22年間 ずっと「また視てみたい」映像でした。
『夜のヒットスタジオ』の特番があるたびに、"流してほしい"映像でした。
・・・・・・・・・
例えようがないほどの感動モノです。
ボクと同じように 当時から奈保子ちゃんファンの皆様なら、同じ感動を抱かれると思います。
・・奈保子ちゃん 泣き出してしまいそうな思いを必死にこらえて 精一杯涙声で歌っておられます。
頑張って歌いながら時折見せる“奈保子スマイル”。
・・・たまんないっす。(満面の笑み)
「ぶりっこ」と表現される方もいると思うが、このときの“奈保子スマイル”に関しては
揶揄・誹謗することは断じて許せない。
映像では奈保子さんの後ろで親衛隊(?)の皆さんが「奈保子ちゃーん」コールをされている。
一緒に出ている近藤真彦さんらしきひとも「奈保子ちゃーん」コールをしている。
見ているこちらも おもわず「奈保子ちゃーん」コールがしたくなった。
高速回線でも短時間でダウンロードできる長めの映像に収められているかはわからないけど
欲を言えば
ヒットスタジオのオープニングで行われていたメドレーで、最後に『スマイル・フォー・ミー』を歌う奈保子さんも見たかった。
一日でも早く奈保子さんの映像を沢山見られるようにせねばならないと心に誓った新潟のあんにゃだった。
やっと回復できましたね。Diary Noteさん。
一日半以上も落ちっぱなしでしたので、一事はどうなるかと思っていました。
『N’S CONNECTION』存亡の危機でした。
回復できてよかっぁ。
でも、今後
今回のようなことがあったら、こちらを閉鎖するかもしれません。
で、
今日の分のネタ
・・いつ書き込みできるかわからなかったのでまとめていませんでした。
奈保子派の皆さんすいません。
続きは後日です。
☆☆☆☆☆☆
12月6日になりました。 続きを綴ります。
奈保子さんの映像を沢山配信しているサイトから、この日の『ラブレター』を歌っている奈保子さんの映像をダウンロードしました。
ボクんち まだ高速回線ではないので、短めの映像しかダウンロードできませんでしたが、それでも満足でした。
22年間 ずっと「また視てみたい」映像でした。
『夜のヒットスタジオ』の特番があるたびに、"流してほしい"映像でした。
・・・・・・・・・
例えようがないほどの感動モノです。
ボクと同じように 当時から奈保子ちゃんファンの皆様なら、同じ感動を抱かれると思います。
・・奈保子ちゃん 泣き出してしまいそうな思いを必死にこらえて 精一杯涙声で歌っておられます。
頑張って歌いながら時折見せる“奈保子スマイル”。
・・・たまんないっす。(満面の笑み)
「ぶりっこ」と表現される方もいると思うが、このときの“奈保子スマイル”に関しては
揶揄・誹謗することは断じて許せない。
映像では奈保子さんの後ろで親衛隊(?)の皆さんが「奈保子ちゃーん」コールをされている。
一緒に出ている近藤真彦さんらしきひとも「奈保子ちゃーん」コールをしている。
見ているこちらも おもわず「奈保子ちゃーん」コールがしたくなった。
高速回線でも短時間でダウンロードできる長めの映像に収められているかはわからないけど
欲を言えば
ヒットスタジオのオープニングで行われていたメドレーで、最後に『スマイル・フォー・ミー』を歌う奈保子さんも見たかった。
一日でも早く奈保子さんの映像を沢山見られるようにせねばならないと心に誓った新潟のあんにゃだった。
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ラブレター (1981) Part1 <奈保子コラム12>
2003年11月29日 私的「河合奈保子」論久々に奈保子さんの歌についてのボク的の思い入れを書き込ませてもらいます。
約二ヶ月半ぶりです。
奈保子さんの通算7曲目のシングル曲。
すでに日記に書かせてもらっている
『ムーンライト・キッス』と『愛をください』の間の曲です。
大怪我をして入院していたのにもかかわらず、病院を抜け出して収録した曲。
(詳細なことは奈保子さんの御本『わたぼうし翔んだ』に書かれてあります。)
発売日は1981年12月5日。
ボクがはじめて聴いたのは、22年前の今日である11月29日。
午前1時から放送されていたニッポン放送の生番組で、その日の第一曲目として流されたのがはじめて聴いたとき。
(あえて番組名は省略・・・地元の放送局でも放送していたので、鮮明に聞けた。)
TBSで金田賢一さんと一緒に出ていた番組(こちらは難聴)が終了してまもなくでした。
奈保子さんが怪我される前日の10月4日にも出演していた。(当然 奈保子さんの部分だけは録音だと思うのですが・・)
歌詞の一番に「なぜか震える指先〜」というフレーズがあるのですが、この頃のシングル曲だとなぜか「なじぇか震えるゆっびぃしゃきぃ〜」と聞こえてしまう。
病院を抜け出して収録した曲だから
奈保子さんの体調を気遣っての事だと思うけど、時間との勝負だったらしく
幼児発音みたいな歌い方のまま収録されている。
この事は翌年発売された『サマーヒロイン』というLPに収録された同曲を聞いて違いに気付いた。
ボク的な感想は
はじめて聴いた時・・
奈保子さんの歌声を待っていた あんにゃにとっては表現の仕様がないほど感動ものでした。
うれしかったなぁ。
わかる人には凄くわかりやすい比喩ですけど
"スペシャル・ローリング・サンダー"や"ギャラクティカマグナム"や"ギャラクティカファントム"・"ウィニング・ザ・レインボー"という名だたるスーパーブローを立て続けに浴びせられたほどの衝撃でした。
この感動は、翌日放送されたテレビ初復帰番組である『夜のヒットスタジオ』へと続く。
奈保子ちゃんのとりこになってしまった。
約二ヶ月半ぶりです。
奈保子さんの通算7曲目のシングル曲。
すでに日記に書かせてもらっている
『ムーンライト・キッス』と『愛をください』の間の曲です。
大怪我をして入院していたのにもかかわらず、病院を抜け出して収録した曲。
(詳細なことは奈保子さんの御本『わたぼうし翔んだ』に書かれてあります。)
発売日は1981年12月5日。
ボクがはじめて聴いたのは、22年前の今日である11月29日。
午前1時から放送されていたニッポン放送の生番組で、その日の第一曲目として流されたのがはじめて聴いたとき。
(あえて番組名は省略・・・地元の放送局でも放送していたので、鮮明に聞けた。)
TBSで金田賢一さんと一緒に出ていた番組(こちらは難聴)が終了してまもなくでした。
奈保子さんが怪我される前日の10月4日にも出演していた。(当然 奈保子さんの部分だけは録音だと思うのですが・・)
歌詞の一番に「なぜか震える指先〜」というフレーズがあるのですが、この頃のシングル曲だとなぜか「なじぇか震えるゆっびぃしゃきぃ〜」と聞こえてしまう。
病院を抜け出して収録した曲だから
奈保子さんの体調を気遣っての事だと思うけど、時間との勝負だったらしく
幼児発音みたいな歌い方のまま収録されている。
この事は翌年発売された『サマーヒロイン』というLPに収録された同曲を聞いて違いに気付いた。
ボク的な感想は
はじめて聴いた時・・
奈保子さんの歌声を待っていた あんにゃにとっては表現の仕様がないほど感動ものでした。
うれしかったなぁ。
わかる人には凄くわかりやすい比喩ですけど
"スペシャル・ローリング・サンダー"や"ギャラクティカマグナム"や"ギャラクティカファントム"・"ウィニング・ザ・レインボー"という名だたるスーパーブローを立て続けに浴びせられたほどの衝撃でした。
この感動は、翌日放送されたテレビ初復帰番組である『夜のヒットスタジオ』へと続く。
奈保子ちゃんのとりこになってしまった。
ゆめ <奈保子コラム番外編12>
2003年11月28日 私的「河合奈保子」論今年もあと約一ヶ月です。
奈保子派になって二十余年。
今年ほど 奈保子さんがでてきた夢を多くみた年はなかった。
続きはあとで。
・・としながら、更新まで9日経ってしまいました。
奈保子さんの夢・・・12月7日現在で、今年は覚えているだけで3回見ました。
そのうち 7月には2回も見ました。
そのうちの一つは正夢になったら良いのにと本当に思った夢でした。
その夢の内容というのは 7月の前半に見たのですが
朝、目覚めてすぐにTVをつけて『めざましテレビ』をみると"芸能"のコーナーのトップで
"河合奈保子 7月24日の誕生日に芸能界に復帰"というものでした。
現実の番組と同じく スポーツ新聞の芸能面に大きく書かれていました。
実現したのなら本当に嬉しいので、夢を見た数日後に奈保子派の方が開設されているとあるBBSにこの事を書き込みました。
この日記を読んでいる奈保子派の方はすでにご存知ですよね。
実現はしなかったけど
大げさな表現になるけど 奈保子派としての魂を揺さぶられたひと時でした。
初めて奈保子さんの夢を見たのは
数年前の1月2日の夜でした。出張先の宿でのことです。
そうです。この日に見る夢が初夢と称されるものです。
夢の内容は覚えていません。
常日頃 神仏に拝むことを好んでいないボクでしたが目覚めたときに柄にもなく神様・仏様に感謝してしまいました。
それぐらいの感動モノでした。
"今年はいいことが起きる"とまで思ったのもでした。
実際は 通年通りの平凡な年でした。
今年は ボク個人としては平凡な年でしたが、
古参の奈保子ファンとしては最高の年でした。
いまでも 奈保子さんのことを思い続ける方たちが多くいると知ったこと。
「後追い」と称する ボクと同世代の人やボクより年下の方々に奈保子さんファンが増えたこと。
ボクと同じかボク以上に奈保子さんのことを思っている人がいるということを知ったこと
・・に感動しました。
(ボク個人としては、奈保子さんのおばあちゃんの家も拝見できたしね。)
あとはボクが 微力だけどHPを開設するだけか・・・。
いそがず あせらず まいります。
奈保子派になって二十余年。
今年ほど 奈保子さんがでてきた夢を多くみた年はなかった。
続きはあとで。
・・としながら、更新まで9日経ってしまいました。
奈保子さんの夢・・・12月7日現在で、今年は覚えているだけで3回見ました。
そのうち 7月には2回も見ました。
そのうちの一つは正夢になったら良いのにと本当に思った夢でした。
その夢の内容というのは 7月の前半に見たのですが
朝、目覚めてすぐにTVをつけて『めざましテレビ』をみると"芸能"のコーナーのトップで
"河合奈保子 7月24日の誕生日に芸能界に復帰"というものでした。
現実の番組と同じく スポーツ新聞の芸能面に大きく書かれていました。
実現したのなら本当に嬉しいので、夢を見た数日後に奈保子派の方が開設されているとあるBBSにこの事を書き込みました。
この日記を読んでいる奈保子派の方はすでにご存知ですよね。
実現はしなかったけど
大げさな表現になるけど 奈保子派としての魂を揺さぶられたひと時でした。
初めて奈保子さんの夢を見たのは
数年前の1月2日の夜でした。出張先の宿でのことです。
そうです。この日に見る夢が初夢と称されるものです。
夢の内容は覚えていません。
常日頃 神仏に拝むことを好んでいないボクでしたが目覚めたときに柄にもなく神様・仏様に感謝してしまいました。
それぐらいの感動モノでした。
"今年はいいことが起きる"とまで思ったのもでした。
実際は 通年通りの平凡な年でした。
今年は ボク個人としては平凡な年でしたが、
古参の奈保子ファンとしては最高の年でした。
いまでも 奈保子さんのことを思い続ける方たちが多くいると知ったこと。
「後追い」と称する ボクと同世代の人やボクより年下の方々に奈保子さんファンが増えたこと。
ボクと同じかボク以上に奈保子さんのことを思っている人がいるということを知ったこと
・・に感動しました。
(ボク個人としては、奈保子さんのおばあちゃんの家も拝見できたしね。)
あとはボクが 微力だけどHPを開設するだけか・・・。
いそがず あせらず まいります。