今年の出場者が決まりました。

公共放送なのに視聴率を気にしているみたいで

最近は、視聴率を稼ぐためのキャスティングが続いている。

『聴きたい歌』が選考基準だけど
あんた誰?ってひとも出ます。
この番組でしか歌を聴かない人も沢山います。

他局では格闘技の番組を3局も放送するそうです。

去年・一昨年と TBSで放送された『イノキボンバイエ』が比較的視聴率良かったものですから、今年からは他の2局も放送する。

『イノキボンバイエ』・・今年は日テレが放送するそうですけど、それにしても
格闘技番組・・嫌いじゃないけどさ、多すぎます。

夏場 ゴルフ番組が3局でほぼ同時間に放送する苦汁よりは良いけどさ。

それでも多い。

みたい番組がないので、奈保子さんのDVDでもみようかな。

本日分の日記を書いていたら
奈保子さんが出ていた頃の紅白歌合戦がみたくなった。

十年近く前から、年末のBS2で昔の紅白歌合戦が再放送されはじめた。

順不同だけど、奈保子さんがでていた頃の番組は全て放送されました。 奈保子派としては当然全部録画しました。

古参の奈保子ファンとしては、やっぱり初出演した1981年の映像が忘れられない。

早く1981年の映像放送してほしかった。
そして放送されたときは・・嬉しかったなぁ。

放送当時 ビデオデッキなんて高級な電化製品は我が家にはなかったからさ。
10月5日に大怪我をした場所と同じところで歌う奈保子さん。
コルセットを着けたままの完治していない体で 笑顔いっぱいで 涙一つ流さず歌う奈保子さん。

感動ものぢゃ。

紅組の司会者だった黒柳徹子さんの奈保子さんを紹介する言葉も感動モノです。

「あの笑顔が戻ってきました。紅白歌合戦初出場です。新潟のおばあちゃん、みていらっしゃるでしょうか。コルセットも、まだ取れないのよ。お辞儀も、まだ上手にはできません。でも、こんなに元気になりました。本当に良かった・・・・・・。河合奈保子さんです。『スマイル・フォー・ミー』」

奈保子さんの御本からの引用ですが、ボクの中では 放送直後から深く刻まれていた言葉です。

今夜(この日記、29日の夜明け前に書いております) みようかな。
「姫様ぁ〜」のはしのえみさん。

「中堅」から「古参」にかけての奈保子さんファンだそうです。

先月30歳になられたとか。
奈保子さんとは ちょうど10歳違いです。(奈保子さんの実年齢は推測しないように!)

奈保子さんがデビューしたのが昭和55年だから、そのころ はしのさんは6歳だったのか。

たまに はしのさんの公式HPを覗くのですが、奈保子さんのこと書かれてませんねぇ。
http://www.sato-kikaku.co.jp/hashino/

はしのさんといえば
先月フジテレビに行ったとき、ポンキッキーズの収録を見学することができました。そのとき はしのさんを見かけました。

遠くからでしたけど見かけました。

奈保子さんファンの有名人を観ることができて、奈保子派としては嬉しかったです。
吉幾三さんや徳光和夫さんも奈保子さんファンです。

吉さんはファンクラブに入っていたそうです。

お互い 公式HPはあるのかな。
ガッツ石松さんの公式HPがあるくらいだから(←たまたまみつけた のさ)
お二人の公式HPがあっても不思議ではない。
あったとして、奈保子さんのことがかかれていたら
奈保子派としては嬉しい限りです。

徳光さんといえば

「歌の大辞テン」に奈保子さんの映像が久しく流れません。
この番組、局の都合で順位はいい加減なものがあります。
奈保子さんがアイドル歌手だったとき放送していた「トップテン」や「歌のトップテン」に一曲で何度も出てたのにもかかわらず奈保子さんは10位以内に入らない。
同じ曲でも以前は入っていたのに最近は入っていない。

入っていた頃なら、
曲にまつわるエピソードのほかに
奈保子さんの近況(「休業中」とか「一男一女のお母さん」とか○○さんのコンサートに行っているとか)を教えてくれていた。 

奈保子さんの人柄も紹介していた。

なにより、徳光さんは奈保子さんの映像が流れるたびに「可愛いだろぅ」と細い目をなおさら細めて毎回ゲストに発しておられた。 

最近の懐古番組も奈保子さんの映像が出ない。
常連さんばかり。
「あの人は今」・・全局に何度も出ている人もいる。
なのに「あの人は今」なのはなんでだろう。
奈保子さんの御両親が新潟県のご出身なのは、以前のボクの日記に書きました。

お父様は海岸沿いにある地域
お母様は山間部付近にある地域

の、ご出身です。

上記の"地域"は『市 又は 町 又は 村』名です。

これ以上の詳しい地域名の書き込みはしませんのでご了承願います。
ん゛ー。

22年前の今日は古くからの奈保子ちゃんファンにとっては忘れられない日です。

『後追い』ファンの奈保子派の方々にとっても特別な日であることは周知の事実です。

何の日かって?

前月の10月5日に NHKホールのせりから落ち、下半身不随にもなりかねない大怪我をして入院。
(病名 第一腰椎圧迫骨折)

そしてマスコミ上だけど、退院したのが今日 11月16日なのです。

実際の(カルテ上の)退院日は18日。
以前から退院日をマスコミには『16日』と発表していたので、16日に退院したカタチをとったが実際は18日。
 

(↓プロジェクトXのナレーター調に読んでね)
当時のファンにとっては、怪我されてからこの日まで心配でいたたまれなかった。

入院されていたS病院は東京なので、見に行くこともままならなかった。

テレビから流されてくる元気な頃の映像
ラジオから流れてくる歌声や「ハイ!」「ハイ!」の連呼が心の支えとなった。
(↑プロジェクトXのナレーター調 終わり)

10月5日は月曜日だったのは鮮明に記憶あるのですが、11月16日の曜日までは忘れていた。
調べてみたら、同じ月曜日だったんですね。
あの日・・・
ボクは帰宅部だったので、掃除当番でもなかってので授業が終わったら速攻で家に帰った。

新聞のテレビ欄で、奈保子ちゃんの記者会見が3時からのワイドショーで流れることを知っていたからだ。

記者会見の生放送が始まるまでには帰宅できた。
みたテレビ番組はTBS系の「3時に逢いましょう」だったと思う。

スタッフ・関係者へのお詫び、ファンへのお詫びの言葉で記者会見は始まったと思う。
「思う」としたのは、22年前の出来事なので
手元には映像も音声もない。記憶のみ。

奈保子さんの話された言葉の一言一句は詳しくは覚えていないけど印象は今でも残っている。
記者会見が開かれたコロムビアレコード本社の会場
も印象はある。

終始 奈保子さんは泣かず涙一つ流さず気丈に記者と応答していた。
『淡々と』でなく『気丈』である。

この記者会見。
当時、すでにビデオデッキをもたれていた方はこの模様を録画された。ようだ。
今では奈保子さんの沢山の映像を配信しているサイトをたずねて行けばみることができる。

みたい気持ちもあるが・・複雑な心境である。

奈保子さんは18日の正式な退院後の数日後に
山梨県のM温泉にあるTという旅館にて療養された。
療養中の奈保子さんの映像も「3時にあいましょう」で流された。
この映像も速攻で帰宅してみた。

ときどき 唇を尖らしながらも元気に歌う奈保子さんを見るまでは 心配でしょうがなかった。

奈保子さんのテレビでの正式な復帰は11月30日月曜日、『夜のヒットスタジオ』からである。

この事は 30日の日記に書くつもりです。

☆☆☆
上記の
S病院・M温泉・T旅館は、奈保子派の中ではファン歴の『新』『古参』問わず皆さんが知っておられます。

どこ?

と知りたい方は、奈保子さんのこの怪我の闘病記『わたぼうし翔んだ』を古書店などお求めになってください。
ネットオークションに出ているかもしれません。
又は、持っておられる方から借りて読んでください。

今日の余談。
『わたぼうし翔んだ』の帯封には森光子さんのメッセージが書かれている。

余談の余談。
Mさんへ。
ボクはこの本、初版本で持っています。
↑、奈保子さんの曲名ではないですよ。

22年前、奈保子さんが担当していたニッポン放送製作のラジオ番組のタイトル名です。

いままでコラムでは奈保子さんの曲にまつわる出来事や、私的な思いを書いてきました。

なぜ 今日はこのことを扱おうと思ったのかというと、下記のサイトで奈保子さんのラジオ番組のことで今、少し盛り上がっているんです。

http://cgi33.plala.or.jp/watermar/clear/clear.cgi

んで、ボクの記憶の倉庫にもこの番組のことがあるので 今回はこのことを日記に綴ってみます。

ボクの手元にある資料(1982年1月発行の雑誌)によると
正式な題名は『塚たん奈保子のサウンドレポート』。
ニッポン放送アナウンサーの塚たんくろうさんと一緒に放送していた。

奈保子さんがこの番組のパーソナリティーになったのは、資料によると1981年4月からだとのこと。
その時は、くり万太郎さんと一緒だったというから題名はおそらく『くり万奈保子のサウンドレポート』だと思う。
ボクが聞き始めたのは"塚たん"のときだから、くり万さんとの放送はわからない。

塚たんとの番組が始まったのは、1981年11月。

11月ぅ?

奈保子さんが大怪我をしたのは10月5日だよ。

おそらく9月頃には数週分録音していたんでしょうね。

この番組の内容は、簡単に述べると
聴取者(リスナー)が さまざまな『音』をカセットテープに録音したものを番組に投稿する。
優れたものを番組内で紹介する。
月ごとに優れた作品をその月の最終金曜日に発表し再放送する。

というもの。

奈保子さんが怪我のために約二ヶ月休んだせいかは定かではないが、
1982年4月からは柏原よしえさんにかわった。

数ヶ月間は聞き続けた覚えがあるが、いつの間にか聞かなくなった。
・・だって、奈保子派だからだもん。

この番組はPIONEER(パイオニア)がスポンサーだったから、

番組のエンディング前に流れる
「ぱいおぉ〜にあぁー」
というフレーズが忘れられない。

月曜から金曜日まで毎日聞いていた。
あちこちの放送局から流れる番組を一日何回も聴いていた。

可能性はかなり低いけどもしかしたら、この番組を録音したカセットテープがあるかもしれない。
わーい。今日も奈保子さんネタがかけるぞー♪。
明日の分のネタもすでにあるぞー♪×∞

でも、最近は本編ではなく最近は番外編ばかり。

奈保子さんネタを書けることに変わりはないのでどちらでもいいのですが
本編をいつ書いたか忘れたので調べたら、もう二ヶ月近く書いていない。

しかたないんです。先月は新潟にいなかったんだし、PCを仕事先に持って行ってても通信する機器の状態が悪かったんだから。

と、ここまでよむと

H"(エッジ?エッヂ? どっち?←しゃれにしたつもりはない)を買えばいいじゃん!
という意見が出てくると思う。

仕事なんですよ。それくらい会社で面倒見てもらわないと・・。PCも本当は会社で買ってほしいくらいなんですよ。
日頃 仕事で持ち歩いているのは私物なんですよ。
仕事中にこわれたらどうしてくれるのでしょうか。

先月抽選されたオータム宝くじ、当たっていないかなぁ。あたっていれば こんなみみっちぃネタ書かなくてもいいんだけど。
仮にあたってなくても、今月末から年末ジャンボが発売されるから期待を大きく持っていよう。

枕詞と称されない内容の、くだらない前置きが長くなりましたがこれから本編になります。

(↓ 長文になってしまいました。)

新潟で 奈保子さんがレギュラーをつめていたラジオ番組を、雑音なく聞けたのはなにか?

と、ふと思った。

夕方6時から放送していた「奈保子のときめきトワイライト」くらいではないかな。

毎日放送の「MBSヤングタウン(火曜日)」は雑音混じりだけど聴けたほうではないかな。

ニッポン放送もなんとか聴ける。

TBSは雑音のほうが多かった。
 (山田二郎アナとの番組は夕方6時代でした。夜中ならTBSもわりと聞こえるんですが、この時間帯では厳しいものがありました。) 

文化放送は あの頃もいまでも聞けない。
 (日曜 朝7時代だったでしょうか。仮に聴けたとしても「笑福亭鶴光のオールナイトニッポン」を最後まで(午前五時まで)聞いていたので、満足に聞けたかどうかは定かではない。

文化放送のダイヤルは1134、新潟放送(下越)は1116。
新潟放送の音にかき消されて文化放送は聞けたためしがない。

当時、我が家には"音楽を流してくれる機器"はラジカセしかなかったので、チューニング次第で
ニッポン放送を聴こうと思っても
何故か「こちら、モスクワ放送です・・」なんて音が流れてくる。聞きたくもないのに、わりと鮮明に聞こえてくる。

ニッポン放送でやっていた「サウンドレポート」は
、ニッポン放送のものが聴けなくても他局からの放送で聴いていた。

東海ラジオ
ラジオ大阪
北海道文化放送など。

前出の「MBSヤングタウン火曜日」→通称「ヤン火」で思い出されるのは

?何回か読んでいただいたボクの葉書のうち
一回だけ奈保子さんに読んでいただいたことがある。
ボクの誕生日直前の放送のときだったら
無理を言って、カンペンケースに奈保子さん直筆のをサインを書いていただいた物をプレゼントとしていただいたことがある。

?奈保子さんの仕事の都合で、一度だけ新潟のBSNから「ヤン火」を放送したことがある。
確か 今頃の季節ではなかったかな。

以前この日記で、新潟での奈保子さんのコンサートや
よみうりランドのイーストで催されていた誕生日コンサートにいけなかったので

「ボクんちの近くに奈保子さんがいる」

とおもっただけで どきどき したものである。

うぶなんです、ボク。

余談。
『総合放送』なる放送局の製作の番組が、地方のラジオ局経由で聞けたけど

『総合放送』ってなんなのでしょうか?
どこにあるのかな?

今度 調べてみよう。

☆☆☆

小ネタ・大ネタ・通なネタ 取り混ぜて  不定期に続く。
昭和56年10月5日の午後4時過ぎに
奈保子さんに起こった出来事は

「古参」「後追い」関係なく
奈保子さんファンにとっては決して忘れられない日である。

その出来事の、
その後の第二章は11月30日。
第一章は 多分11月16日だったと思う。

奈保子さん著作の御本「わたぼうし翔んだ」を読めばわかるのだが、今手元にないので確定できない話しはできない。残念である。
奈保子派以外にはわからない今宵のネタ。

いつか 詳しいことを書きます。
(16日にしようかと思っています。)
この『Diary Note』に日記を書いている人や読んでいる人の中で、奈保子さんのファンの方はどの位いるのだろう。

ファンではなくても知っている方なら多いはず。

今日現在で奈保子さんがデビューしてから23年5ヶ月と3日だし
芸能活動を休止してから6年以上も月日がながれているから
奈保子さんを全く知らないひともいると思う。

『引退』なんかしてないんですよ。
『休業』状態なんですよ。
たとえるなら『育児のための休業中』なんですよ。
(今でも、所属していた事務所に籍があるんです
よ。)

なぜ今日このような書き出しで始めたかというと

このボクの日記を読んだことがある人の中で
ボクが奈保子さん関連のサイトに書き込みしているときのHNを知っている方から
先日メールをいただきました。

送っていただいた方の文に『日記』と書かれている。奈保子さん関連のサイトには「『日記』を書いている」ことはどこにも書いたことがないので
初めは ? と思った。

でも、この日記やサイトへの書き込みの内容が重複したりしていることもあったので
メールを送ってくれた人はボクのことに気付いたのだろうとおもった。

ボクの、奈保子さん関連のサイトへの書き込みを読んだことがあるひとは多いと思うけど
この[へんじょこき]日記をよむひとなんていないと思っていたから

メールいただいた時、少し不思議でした。
メールを送っていただいた方はファン歴の比較的浅い[後追いファン]とのこと。
[古参の奈保子ファン]としては
微弱だけど、奈保子派が増えていくことに対してすごく感動しています。
「秀樹カンゲキィ〜」状態です。
通な表現をすれば
「俺は今、モーレツに感動をいている!!!」です。
(↑わかるかな)

「いままで 奈保子さんファンでよかった。
これからも 奈保子さんファンでい続けよう」
と思った。

☆☆☆

○○さんへ(←メール送ってくれた方)

奈保子さんのことを
ずぅぅぅぅぅぅっと応援していくつもりですから
『日記』は完結しません。
仮に万一、奈保子さんが復帰しても
止めません、よ。

あと
今年は無理だけど
来年中には、細々だけど奈保子さん関連のHPを開きたいとおもいますので
その時は宜しくお願いします。

☆☆☆☆

奈保子派に新たなる野望が沸いてきた。

不定期だけど続く。
今日月曜日は、TBS系で『関口宏の東京フレンドパーク?』が毎週放送されている。

奈保子さんが、“新発田のあんにゃ”の三田村邦彦さんと出なされた時、改めて奈保子さんの音感のよさを知った。

ゲーム名は忘れたが、
ヘッドフォンで流れているリズム音を聞き、会場内で流されているペース音にあわせてパットをたたくゲームです。
最近では滅多に行われないゲームですが、音感に自信のあるゲストが出ている場合には行われているゲームです。

三田村さんがパットを出題者で(パットを叩く)、奈保子さんが回答者の時です。
三田村さんのふがいないパットの叩き方に対し、
奈保子さんはベース音のみで正解した場面がありました。

先日藤井隆さんとでていた、和楽器屋の娘のみやじまおさん(正確な字を思い出せません)も、ベース音で回答していました。

音楽。
→音を楽しむ。

幼いときより、自発的に音を奏でること・歌うことを楽しみながらしてきた人には、私みたいな凡人には理解しがたい音の才能が、潜在的に生まれながらに備わっているんですね。
毎日、奈保子さんのネタを書き込んでいくと

サイト開設時にはネタがなくなるので

今日は、トレビア的なものは省略します。

22年前の今頃、テレビで歌っていた曲は、
『スマイル・フォー・ミー』から『ムーンライト・キッス』に変わった頃かな。

歌いだしで、幼稚園のお遊戯みたいにカスタネットを叩く奈保子ちゃん、かわいかったなぁー。
いつのまにか右上のカウント数は300を超えていますね。
へんじょこきなあんにゃが綴った日記をみていただいたあらゆる方に感謝しています。

河合奈保子さんのネタを常時載せていくのが奈保子派としての常の目標ですが、

奈保子派である前に新潟県人として生きていますので、
戦争反対・軍費(防衛費)拡張反対者として

時々路線を逸脱しますけどご容赦願います。

世間が平穏なときは、奈保子さんネタを大事にしていきますので、宜しくお願いします。

はなし変わりますが、

今日みたいな夜は、奈保子さんの『黄昏ブルー』という曲をききたいと思います。
奈保子さんの新潟でのコンサートは確か二回ほどだけだったと記憶しています。

奈保子さんファンになりかけの1982年の春が最初だったと思います。
翌年も来られたと思います。

当時中学生でしたし、諸事情からコンサートにいけるすべもなかったので、当時から今までの20余年間ずっと残念でした。

コンサートでは二回しか来県しませんでしたが、地元放送局の番組や、明星・平凡などの雑誌の取材などで奈保子さんは、数回来県しています。

奈保子さんがまだ“奈保子ちゃーん”と呼ばれていた頃。

ご両親が新潟出身ですから、何かにつけて新潟に絡めた取材が多かったのでしょうか?
私、奈保子さんファンが開かれている主だったサイトに書き込みをしています。

この日記とは違うHNで書き込んでいます。

でも、この日記と同じ話題を書き込んだりしています。文章の綴り方もこの日記とほぼ同じです。
自分でもそう思います。

真の奈保子ファンでこの日記を見ていただいたお方はどのくらいいるかわかりませんが、

サイトに書き込みをしているときの私のHNわかった方いるかな?

もしいましたら、もう少し内密にしていてください。

サイト開設できたら、サイトに書き込みしているHNを、こちらのHNに変更します。
先日の野望1はまだ達成してない。

調べたら数字四桁しか希望できないみたい。
ひらがなは指定できないみたい。

“な724”か“か724”じゃないと意味がないので、根気強く頑張ってみる。

・・で、本日のこと。

奈保子ステッカーを作りました。
正確に言うとNAHOKOステッカーです。

奈保子さんは本名は『なほこ』です。
FCの会報詩で奈保子さんご自身が書かれた『NAHOKO』を見つけたのでスキャナーで取り組んで作らせてもらいました。

あと、
奈保子さん直筆のイラスト“ひよこぶた”も一緒に取り組みました。

“ひよこぶた”わからない方多いと思います。
後日、野望の中で書きます。

街で見かけたら“奈保子派のあんにゃ”だと思ってください。

つづく
自ら『奈保子通』を自負していましたが、

奈保子さんファンの方々が開いている各サイトの掲示板に書き込むようになってから、自分の力のなさを痛感した。

地方に住む奈保子ファンには限界がある。

大阪(関西)に住む奈保子ファンなら
奈保子さんが生まれた愛染橋病院や、上京するまで住んでいた団地・通っていた大阪女子学園高校、卒業した粉浜小・住吉第一中に容易に行ける。

東京(関東圏)に住む奈保子ファンなら
奈保子さんが、通われていた幼稚園数園(お父様の仕事上、数回変わっている)にいける。
誕生日に数度コンサートを開催したよみうりランドEASTにもいける。

被害妄想が過大なわけでもないが、
いろんな意味で、都会に住まわれている奈保子ファンは恵まれている。

新潟で奈保子さんが出演した番組の再放送は最近い
つしたのかわからない。
ボク個人として、新潟のすべての放送局に再放送を希望していても放送局側の諸事情で一切再放送してくれないのは悲しい。

新潟にも奈保子さんファンは多くいると思います。

新潟の奈保子ファン、もっと熱くなれ!!

知る人はあまりいないと思うが
奈保子さんのご両親は共に新潟県のご出身なんですよ。
これまでも
これからも
ずっと奈保子ファンでい続けるボクは
奈保子派の証しとして

愛車のナンバープレートを『724』に変更しようと思っている。できれば『な724』か『か724』にしたい。

いつか街中で『724』のナンバープレートを見かけたら、
奈保子派?と思っていただきたい。
奈保子派の野望はまだ続く。

コラムもつづく。
『のめしこき』・・新潟県の方言です。
意味は・・『なまけもの』『横着もの』でよかったかな?
現在NHKで放送されている「こころ」では多分使われない言葉です。

日記を綴るのは元来不得意な分野なのですが、がんばってみます。

N’S CONNECTIONとは、河合奈保子さんのFC(フットボールクラブではない)の会報誌の題名からいただきました。
20余年来の一途な奈保子ファンです。
現在休業中の河合奈保子さんの歌手としての復帰を熱望しています。
アルバム製作とかコンサートとか・・

河合奈保子さんのことを、主に綴っていきます。

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